沖縄 · ブルーゾーン · 2023年10月〜11月
東シナ海に浮かぶブルーゾーン
世界でいちばん有名なブルーゾーンで過ごしたひと月から、6つの答え。食べ物の話はそのうちひとつだけです。タップすると、それぞれの話にすぐ移動できます。
南の南城市
日本は旅の途中の立ち寄り先のはずでした — 京都、東京、ブルーゾーンをひと目見て、また次へ。ところが、ひと月滞在することになりました。最初の数日を過ごしたのは南城市。那覇にほど近いこの町で、 Mikiko Kumagai さんが私たちをゲストとして迎えてくれました。沖縄での日々がうまくいったのは、すべてこの人のおかげです。12年前に東京を離れ、それきり一度も戻っていないそうです。


北へ向かう前の日、アレクサンダーがインタビューをして、この旅全体の土台になっている質問を投げかけました。ブルーゾーンの秘密は何か、と。最初の答えは、ここに暮らす誰もが口にするものでした。
「コミュニケーションが秘訣です」
「ゆんたくは……おしゃべり。いつも、ゆんたく」
続けて、2つ目の答えが返ってきました。どの記事にも出てこない答えです。
「それと、宗教と信仰。沖縄の人たちの信仰はアニミズムに基づいているんです。だから神様に祈るんです」
「すごく信心深いんですね」
「外で。祈る対象は、石のこともあるし、泉のこともある。だから自然の中で祈るんです」
沖縄について書かれたものには、どれも紅いも、ゴーヤー、歩くこと、友人とのつながりが並んでいます。ところが、そこに暮らす女性は信仰を自分のリストの2番目に挙げました。食べ物の話が出るよりも前に — しかも、建物の中の信仰ではありません。石。泉。外にあって、野菜を育てているのと同じ風景の中で、その前に立つもの。
世界がこの土地から持ち帰った言葉については、それほど確信がないようでした。生きがい — 沖縄を有名にした、人生の目的 — について尋ねると、笑って、よくわからないと答えました。ところが10分後、家の裏で自分の野菜を育てている小さな畑の話をしているうちに、自分からその言葉を口にしたのです。
「それも生きがいのひとつだと思います」
心に残った小さなことが2つあります。午後の村がひっそりして見えるのは、誰も家にいないからではなく、日差しが強すぎて、みんなそれが和らぐのを待っているからです。それに沖縄には鉄道があまりないので、たいていのおばあちゃんが孫を車で学校へ送っていきます — だからここでは、誰が計画するでもなく、3世代が週に何度も顔を合わせるのです。
アレクサンダーは腹八分について尋ねました。誰もが引き合いに出すルールです — 沖縄の人はお腹八分目で食べるのをやめる、という。答えはノー。順位は下がった、と言い、その理由を挙げました。
「だって、食べすぎだから」
それから、その食べ方がどこから来たのかを説明してくれました。「沖縄はアメリカに占領されていました。だから向こうの文化が入ってきた。だから、ハンバーガー」若い人たちはハンバーガーやドーナツが大好きで、あまり健康的ではない、と言います — でもコミュニケーションについては、今も年配の人たちの生き方を受け継いでいるそうです。
食の伝統は途切れました。おしゃべりの伝統は途切れていません。最初に話を聞いた人が教えてくれた、世界でいちばん有名なブルーゾーンの正直な現状です。それでも私たちは北へ向かいました。





沖縄の砂浜で
Tina Woods は自立した老後をテーマにした会議のために来日していて、マレクと浜辺を歩きながら、なぜここの人たちは長生きなのかを語り合いました。研究室とは問題の反対側から取り組んでいる人です — 政府、年金基金、そして社会全体が健康でいられるかどうかを左右する条件に。


Tina Woodsが日本で気づいたのは、サプリメントでもクリニックでもありませんでした。この国が、当たり前のことをずっとやめずに続けてきた、ということだったのです。
「要するに、おばあちゃんがいつも言っていたことばかりなんですよ。常識的なことなんです。そこがちょっと恐ろしいところで、だって私たちは、おばあちゃんが言っていたことを全部忘れてしまったんですから」
「ここでは高齢者を敬うんです。年をとることは、むしろ価値のあることだと考えられている。知恵は良いものなんです。西洋化した世界には、エイジズムがあります」
その主張は、こうしたことを知っているだけでは何も変わらない、というものです。ある集団が健康かどうかを決めるのは、その人たちが暮らす条件です — 近くにどんな食べ物があるか、それがいくらするか、空気はどうか、そもそも予防にお金が払われているかどうか。
「大事なのは、いわゆる長寿の配当がもたらす恩恵へのアクセスを、民主化することなんです — お金を払える人たちだけのものにせずに」
北へ、沖縄の端まで
大宜味村は沖縄本島の北の端にあります。那覇からは路線バスを3本乗り継いで、ほぼ一日がかりでした。着いたその日、私たちはカメラを置いて、なぜここに来たのかを二人で話しました。
「ブルーゾーンの人たちの秘密は、だいたいわかっているんです。伝統とか、何を食べているかとか、どうやって体を活発に保っているかとか。でも、それを人から聞くのと、自分たちで体験するのとでは、まるで違う。だから父と息子、二人でここに来て、どんなところなのか見てみることにしたんです」



村に入るまで
コーディネーターも、紹介もありませんでした。地元の商店に入ると、カウンターの女性が、村のお年寄りは公民館に集まっていると教えてくれました。行ってみると、97歳の女性と一緒に腰を下ろすことになりました。最初のインタビューの途中で、この二人がどうつながっていたのかがわかったのです。
「この方の娘さんがここにいるんです。さっき話したお店、わかりますか? あそこの人が娘さんなんですよ」
私たちを公民館へ行かせてくれたあの女性は、Okushima Kikueさんの娘さんだったのです。Kikueさんのお母さんは108歳まで生き、一度も医者にかかったことがなかったそうです。家族のほとんどが90代まで生きました。Kikueさんは大宜味村で生まれ、ほかの土地に住んだことは一度もなく、村の人たちに踊りを教えています。何が自分を支えているのかと聞かれて、最初に口にしたのは食べ物のことではありませんでした。
「何よりも、くよくよしないこと。いつも笑って、友だちとおしゃべりして、三度の食事はちゃんと自分で作って食べて、それから歩くこと、運動、睡眠 — それを土台にして、毎日それを繰り返しているだけです」
やっぱりもうくよくよしないで、いつも笑いあり、お友達と会話したり、本当に三度のご飯ちゃんと自分で作って食べて、ウォーキング、運動して、眠眠、この3つを基本にも毎日そのようなことを繫り返している。
大宜味村に来る誰もが尋ねる質問をされて、97歳の女性が最初に言ったのがこれでした。食べ物でも、サプリメントでも、数字でもない。自分のあり方です — しかもそれは、三度の食事や歩くことや睡眠の後ではなく、その前に来ていました。



すべてを可能にしてくれた人
Eikoさんは通訳でもガイドでもありませんでした。大宜味村の出身で、沖縄を離れてアメリカへ渡り、そこで看護師の資格を取って働き、夫を亡くしてから故郷に戻ってきた人です。外国人二人が苦労しているのを耳にして通訳を申し出てくれ、その週はずっと一緒にいてくれました。それから、朝ごはんに家へ招いてくれました。故郷に戻った理由はたったひと言で、それも食べ物の話ではありません。
「兄と義理の姉と、ここで一日三回ごはんを食べるんです。一緒に食べる。だから、ひとりで食べることがないんです」



78歳
1946年に大宜味村で生まれた7人きょうだいの長男で、今も村議会議員を務め、7期目に入っています。マレクは、ブルーゾーンの記事なら必ず出てくる質問をしました — 食事か、運動か、それとも人と人とのつながりか。答えは、人。人生でいちばん好きなものは何かと聞かれても、答えは人。17歳の若者に何を伝えたいかと聞かれても、やはり人でした。
「人のことを思うのがいちばん。人がいちばんです。いい友だちと家族を持たなきゃいけない。それだけです」
近所の人どうしが支え合うことについて話していたとき、Taira Tsugoさんは日本語で、それが失われてしまったと言いました。原文では「なくなってしまった」。大宜味村で聞いた批判的な言葉はこれだけで、その場では英語に訳されず、私たちには届きませんでした。2年後、録音を日本語で文字起こししたときに、ようやく見つけたのです。
ブルーゾーンとは、何も変わらない場所ではありません。人々が今も努力を続けている場所なのです。
朝の5時40分
笑味の店 — 笑子さんのお店 — は大宜味村にあり、ふらりと入ることはできません。予約制です。笑子さんはひとり息子と一緒にお店を切り盛りしています。目覚ましが鳴ったのは5時40分。バスに乗って、料理をするところを見に行きました。最初は畑でした。作る料理のほとんどすべてが、台所の戸口から数歩のところで育っています — パパイヤ、ゴーヤー、アロエ、大根、シソ。
「うちの畑は草だらけの畑。どこまでが野菜で、どこからが草なのか、わからないのよ」







笑子さんは私たちと一緒には食べられませんでした。お店は11時半に開くので、仕事があったのです。料理をすべて作って容器に詰め、私たちがEikoさんの家で食べられるように届けてくれました。
私たちが着く4か月前、笑子さんは『おばあたちの台所』( The Grandmothers’ Kitchen)を出版していました。自分の村のおばあたちの毎日の食事と暮らしぶりを、本人たちの言葉で記録し、24品の料理を収めた一冊です。
私たちは、大宜味村の人たちがどう食べ、どう暮らしているのかを尋ねるために、世界を巡ってきました。笑子さんは何年もかけてそれを書き留め、そのうえで私たちに朝ごはんを作ってくれたのです。
沖縄のブルーゾーンで過ごしたひと月
ブルーゾーンに来る人は、誰もが食べ物を探しにやって来ます。食べ物の話は本当です — けれど、それを答えに挙げた人は、現地にはほとんどいませんでした。
笑うこと、友だち、自分で作る三度の食事、歩くこと、睡眠。この順番で、しかも最初のひとつは心のあり方です。
長寿についての4つの違う質問。答えはすべて同じで、それが食べ物だったことは一度もありません。
Mikiko Kumagaiさんの答えは2つ。コミュニケーション — ゆんたくを、とことん。そして信仰。石や泉に、外で祈ること。
Eikoさんは、アメリカのプール付きの家を手放して、毎日三度、誰かと一緒に囲む食卓を選びました。
Tina Woods:友だち、緑の野菜、睡眠、運動、新鮮な空気。恐ろしいのは、私たちがそれをもう知っていて、やめてしまったということ。
Mikikoさんは、みんな食べすぎで順位が下がったと言います。Taira Tsugoさんは、近所の支え合いが失われたと言います。ブルーゾーンは博物館ではありません。
浜辺で、Tina Woodsはこのレシピ全体を「おばあちゃんがいつも言っていたことばかり」と呼びました。その数日後、朝6時に笑子さんの台所に立って料理を見ていたマレクが、ふと口にしました。
「なんだか、おじいちゃんおばあちゃんの台所にいるみたいだ」
東シナ海に浮かぶ村で、ポーランド人が自分のおばあちゃんの料理を思い出す。それがこの旅全体の主張であり、二人とも、それを言おうとしていたわけではありません。このひと月の続きは、Live Beyondの映画と本の中にあります。